編むひと 縫うひと

モノづくりのblog。ポンコツな子育ても公開。

私も源義経の子孫なんじゃないかと思って。

こんにちは。

 

朝ドラ「まんぷく」を見ている方はご存知かと思いますが、

フクちゃんのお母ちゃんはいつも「私は武士の娘です」とか「源義経の子孫です」とか頻繁に言うんです。

 

源義経だって、ククク。くらいで見ていたのですが、だんだん気になってきて。

図書館に走りました。

 

ありました、義経さん。

  

司馬遼太郎の「義経」。(上と下)

 

もともと歴史小説が好きで様々読んでいたのですが、戦国時代物が多かったんです。

だから、源義経に関しては興味があったけど、なかなか読めずにおりましたが、

いい機会だし、読んでみました。

 

私が知りたかったのは、

五条大橋での武蔵坊弁慶と牛若丸(のちの義経)の出会い

・歌舞伎にもなった「勧進帳」って?

奥州藤原氏に可愛がられた義経でしたが、なぜ奥州に逃げたとき藤原秀衡は守ってくれなかったのか

義経は平泉に逃げたとき、どんな様子で最期を迎えたのか

 

以上。

 なんとも幼稚な疑問ですが、スルーしてくださると幸いです。

 

 

上下巻読破。

 

結果から申しますと、

私が知りたかった読みたかったことには1mmも触れられていませんでした。ゴフッ

 やっぱりあのキラキラした伝説的場面は作る話だったの.....?

 

司馬遼太郎はきっと牛若丸時代を詳しく書きたかったのかな、という印象でした。

都に生まれてから源氏が滅び、鞍馬での幼少期。

この辺りが深く細かく書かれていたのかなという印象。

 

そして、司馬遼太郎義経を読んで思ったことは「義経は自害していないんじゃないか。」ということ。

 

一般的には、追い詰められて自害したとされていますが、

生きて逃げ切り、隠れて暮らしていたとも言われているようですが、本当のところは分かりません。

 

でも、司馬遼太郎義経を読むと、そんなに簡単に自害するような人間には思えませんでした。

少なくとも司馬遼太郎が書いた義経は、自害するような人物ではないと感じました。

 しかもね、司馬さん、この最後のくだり、めちゃくちゃ端折るの。(´;ω;`)ウゥゥ

 

サラっと数ページで終わったの(´;ω;`)ウゥゥ

 

最後、壮絶にバトって、「無念...」みたいなのかと思ってたんですけどおお

 

 

もしかして司馬先生も、義経が死んでしまうことなんて

書きたくなかったのかもしれない、

死んでしまうことをとても悲しんでいたのかもしれない、

 

 

義経義経、遼太郎、義経、遼太郎......

義経を想ったり、司馬先生に思いを巡らせたり、

もう頭の中はパニックです。

 

 

 

 

義経はその短い生涯にたくさんの謎を秘めていて、そしてたくさんの人を現在も魅了し続ける人物です。

それゆえ、伝説的なたくさんの作り話や間違った言い伝えが広まっています。

それを確かめるすべはありません、

 作り話だと言われていることが、本当に作り話であったかすらもわからないですよね。

 

でも 今でもその武勇伝は語り継がれていて、

その子孫であることが自慢できる、最高に魅力的な人間であったことは間違いありません。

私も会ってみたかった。

 

 

あ、あとね、

鞍馬から奥州に向かう途中で、泊めてもらったところの娘と通じまくっていた、と今回の本にはありました。

ということは、頼朝による鎌倉政権の中、秘かに義経の子供を産んだ娘もいるだろうし、生まれた子供もいるだろうし。

 

義経の子供だと知らずに育った子供もいるだろうし。

義経の子孫だと知らずにいる現代人も多いのではないかと。

それを証明するものは何もないけどね。

 

そうなると、もしかすると私も......。エヘ。

 

 

ますます謎が深まりました、

死ぬまでに一度は行ってみたいです、平泉。

 

 

 

 

電子書籍派の方はこちらからどうぞ。


義経(上)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]


義経(下)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]

 

 

 

 

なんともまとまりのない記事になってしまいましたが、本日は以上でござる。